父から、母がもう長くないことを知らされました。
以下、私の気持ちを整理するために書きます。
とても暗い内容になるかと思いますので、読むのを避けたい方はブラウザバックをお願いします。
私の胸の内に秘めておくべき内容なのかもしれませんが、
読んでくださった方が、「大切な人とは元気なうちにたくさん会っておこう」と思うきっかけになればいいなと思います。
私も、度々こう思うきっかけがあったんだけど、人って時間が経つと、思った時の気持ちを忘れちゃうんですよね。
そして、最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくんですよね。
父から知らされた日
娘ちゃんが生まれてから、母とは2週間に1度は電話して、近況を報告していました。
8月20日に電話したときは、普通に会話ができていました。
ちょっと母の声がかすれていたので、「体調悪いの?」と聞いたら、「元気だよー」って返ってきました。
9月3日、午前中に電話をかけると、母がなんか寝ぼけてて、イマイチ会話が成立しない。
この時は、「起こしてごめんね。また後でかけ直すね。」って言って、電話を切りました。
午後に、再度電話を掛けましたが、一層会話が成立しない。
これはおかしい、熱中症かも、と思い、急いで父に電話をかけました。
私「お母さん、大丈夫なの?なんか様子がおかしかったんだけど。。」
父「・・・」
父「最期まで言わないでおこうと思っていたんだけど、実は、お母さん、肺癌なんだ。」
4年前に肺癌が発覚し、1年前には余命宣告されており、
最近、肝臓へ転移し、容体が急変したとのこと。
ちょっと待ってよ。
まだ60歳代だよ?
おじいちゃんおばあちゃん(母の両親)だって、まだ健在だよ?
これから老後を楽しむんじゃないの?
これから、お父さんとちょっと旅行したり、ばぁばとしての立場を楽しんだりするんじゃないの?
「お母さん、あのね。娘ちゃん、寝返りしたんだよー。私が赤ちゃんの時はどうだったの?」
みたいな会話が、少なくともあと20年は続くと思ってた。
今から思えば違和感だらけ
実家は徳島で、私は愛知。
最後に帰省したのは、コロナ前なので、2019年の夏だったかな。
(この2ヶ月後に、発覚したらしい。でも、たぶんこの時も患っていたんじゃないかな。)
最後に食べたお母さんの手料理、なんだったかな。
それから今まで、父には、頑なに帰省を自粛するように言われてました。
まぁ確かにコロナは心配だし、去年は私が妊娠中だったし、ちょっと神経質すぎんか?とは思ったけど、まぁそんなものかな、とスルー。
父は母をコロナから守りたかったんだね。
実家は自営業で、母は事務とか経理とかを担当していたのですが、2年くらい前に事業を畳んだようです。そして、仕事場兼住居だった建物から、空き家になっていた父の実家に引っ越し。
あれ?思ってたよりも早く辞めたなっていう印象だったし、引退したらマンションを買うと言っていたのに。
母に「お父さんが、もう年だし、ちょっと疲れたって言うから辞めたの。お父さんの実家、マンションよりも広くていいかなと思って。」と言われ、気が変わることもあるし、まぁそんなものかな、とスルー。この時、なんとなく、本当の理由を隠してる気がしたけど、言いたくないことを無理やり聞き出すのも悪いかな、と追及はしませんでした。
しんどかったのは母の方だったんだね。そして、マンションを買っても、長く住めないことが分かっていたんだね。
今年、娘ちゃんが生まれて、会いに来てくれる?と両親を誘ったけど、まだコロナが心配だからと来てくれず。
初孫なのに、そんなに孫には興味ないのかしら?と違和感を覚えるも、まぁそんなものかな、とスルー。
もう移動ができる体力がなかったんだね。
8月20日に電話したとき、母が電話の向こうで「○○さーん」って呼ばれて、会話の途中で電話を切りました。
実家は田舎だし、インターホンを鳴らさずに、扉をガラッと開けて「○○さーん」もあるのかな、まぁそんなものかな、とスルー。(母の実家は、未だにこの方式。)
今から思えば、もう入院してたんだね。病室で看護師さんに呼ばれたんだね。
そのちょっと後に、「さっきは変なところで終わっちゃったから、ちゃんと、じゃあねって言おうと思って。」と、母から折り返しの電話がありました。
律儀だなぁ、まぁそんなものかな、とスルー。
これが、楽しくおしゃべりできた最後の電話になるなんて思ってもみませんでした。
「みてね」という画像共有アプリを使って、娘ちゃんの写真を見てもらっていました。アップロードしたら、毎回、速攻で母がコメントを書いてくれていたのですが、8月20日の電話の後から、コメントがつかず。でも、似たような写真過ぎて、飽きてきたのかな、まぁそんなものかな、とスルー。
もう文字を打てなくなっていたんだね。
全然気づかなかった。あれ?って思うことはたくさんあったのに。
自分の鈍感さに呆れるわ。
母は、この薬が最終段階の薬で、これが効かなくなったらもう最期ということも知っていて、でも、電話では、不安とか悲しさとかを全く匂わせずに談笑してくれて。
お母さんって、こんなに強い人だったんだ。
母の最後の願い
「私ちゃんには、お母さんの元気な姿を覚えておいてほしい。瘦せ細り、髪も抜けた姿を見られたくない。これがお母さんの最後の願いだから、会いには来ないでほしい。」(お葬式もせずに、直葬が母の希望。)
「娘ちゃんもまだ小さいから、もし帰省して体調を崩したりしたら心配だ。」
「私ちゃんがすべきことは、娘ちゃんをちゃんと育てて、夫君と楽しい家庭を築くことだろ?」
父にこう告げられました。
迷いました。
娘ちゃんの首も座ったし、長距離移動もできると思う。
私は育休中で自由がきくし、ベビー用品をレンタルすれば、しばらく実家で娘ちゃんと暮らすこともできると思う。
もしかしたら、夫も有休or育休を取って、一緒に実家に来てくれるかもしれない。
でも、もし娘ちゃんが体調を崩したら、母は悲しむと思う。
そして、私がお母さんの立場でも、心から同じことを言ったと思う。
親の恩は子で送る。
だから私は、母とは会わないことに決めました。
今は毎日14時と17時に父が電話をかけてきてくれて、母と会話しています。会話と言っても、母はモルヒネで朦朧としているので、こちらからの問いかけは理解できないようで、母の夢うつつの独り言に相づちを打つ感じです。
それでも、「産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。」は、比較的意識がはっきりしているうちに、ちゃんと伝えられてよかった。
これからは、せめて電話口では泣かずに、お母さんの声をしっかり聴いておこうと思う。