『花伝書(風姿花伝)』は、申楽(さるがく)者の観阿弥が、長男世阿弥に口述した能楽論、ひいては体系的芸術論です。
芸道、武道に限らず、何かをずっと続けていこうと思っている人に読んでほしい本
特に心に残った言葉を紹介します。
ちなみに私は、居合道をずっと続けていこうと思っています。
『年来稽古条々』の章より抜粋
年齢によって、どのような稽古をするのがよいか、どのように成長していく傾向があるのかが書かれています。
「稽古を始めて何年目」という観点で考えるとよいと思います。
24,5(歳)
若盛りの一時的なよさが珍重されて、一ぺんでも勝つようなことがあると、人もそれを上手だと買いかぶり、本人もうまいとうぬぼれはじめるのである。(中略)これも真の花ではない。(中略)この頃の花こそ、初心とも言うべき未熟な時期である(中略)
一時的な花を、真実の花だと思い込む心理が、真実の花に一層遠ざかる心理である。
若いからチヤホヤされるけど、天狗になってはいけないよ
私は大学生から居合道を始めたのですが、当時は今よりももっと女性の競技人口が少ない時代でした。なので、若い女性というだけで、先生方に名前を憶えていただけたり、目をかけていただけたりしていました。試合などでよい評価をいただくこともあり、正直、私は調子にのっていました。まさに、観阿弥が思う24,5歳の時分のダメverですよ。(でも言い換えれば、観阿弥の思惑どおり順調に(?)成長しているってこと?人にはこういう時期もたぶん必要。。)
その後、試合で全然勝てなくなって、うぬぼれていたことに気づきました。
この頃のうぬぼれの気持ちは、戒めとして忘れないようにしたいと思っています。
34,5(歳)
この時期は、過去に自分がやって来たことをよく自覚し、また将来どうやって行ったらよいか、そのやり方などをもさとる時期である。
円熟期が勝負時。
気を抜かずに一層頑張れ。
居合道を始めて十数年。私の前には、6段審査の壁が立ちはだかっています。今の私は、技術面、精神面ともに全然足りていません。このまま漫然と稽古を続けていては合格しないと思います。私にとっては、たぶん今が、これまでを振り返り、これからを考えるタイミングなんだと思うんです。自分で考えて工夫をしなければ、6段審査の壁は越えられないと思います。このブログも、私なりの工夫の一つだったりします。技術面、精神面を鍛えるために学んだことを、アウトプットする場にしようと思っています。
44,5(歳)
だんだん年を取っていくので、わが身の美しさも、人の目に映る美しさも無くなってしまう。(中略)手が込んだ身働きの激しい能をするものではない。(中略)
しかし、もしこの年頃まで無くならないような花があるならば、その花こそ、真の花と言ってよい。
少し前に先生に言われたことがあります。
君ももう若くないんだから、20代の時と同じ稽古をしていたらダメだよ。
20代では、とにかく刀を振りたくて振りたくてしかたがなかったです。要義も考えずに、いかに刃音を出すかにこだわっていました。また、疲れないことがイイことだと思っていました。
でも、敵を想定して集中したり、呼吸を意識したりしていたら、稽古が終わればグッタリするはずですよね。量よりも質の稽古をしないといけないな、 と思いました。そう、どんなに若作りをしても、私は30代のおばちゃん。30代には30代なりの演じ方があるのです。
50有余
真実芸道を達得した役者ならば、(中略)どんなに見せ場は減ってしまっても、花はやっぱり残っているであろう。
7段、8段の先生方の演武は、やはりかっこいいんです。確かに、体力、筋力ともに衰えてしまうけど、ここぞという時のキメがあったり、眼光が鋭かったりして、ハッとさせられるものがあります。20年後、自分にも散らずに残っている花があればいいなと思います。
『問答条々』の章より抜粋
(五)
上手なものにも悪いところがあり、下手なものにも善いところはかならずあるものだ。(中略)上手も下手も、互に他人に悪いところをたずねるがよい。しかしながら、実力をそなえ、それを発揮する工夫を究めたような者は、みずから反省してこれを知るであろう。
どんなに変てこりんなシテでも、もし善いところがあると思ったならば、上手な者もこれをまねするがよい。これが上達する第一の方法だ。もし他人の善いところを見たとしても、自分より下手な者のまねはすまいと思う手前勝手な気持ちがあるならば、その心にしばられて、自分の悪いところも恐らくは知らぬに相違ない。
「私は先輩だから、後輩よりも全てにおいて優れていなければならない」と結構脅迫的に思っていました。でも全てにおいて優れているなんてあり得ないし、大事なのは、先輩っぽく見せることじゃなくて、自分はまだまだ努力が足りないなってことを自覚して、後輩からありがたく学ばせてもらうことですね。
まとめ
こんなに心がえぐられる、的を射た言葉が書かれているとは思ってなかったんですよ。600年も前に書かれたものとは思えないです。今も昔も、人は同じような悩みを抱えているんですね。そして、自分で考えて工夫する人こそが真の花を究められるっていうのも時代を超えて共通ですね。