道場に、新しい仲間が増えました~!やったー!
座り方、刀の置き方、礼の仕方などの礼儀作法を教わっている姿を見て、「あれ?そういえば、この作法ってどういう意味があったんだっけ?」「最近、何も考えずにやっているから、所作が雑になっている気がするな、、」と思ったので、稽古後、同期とマックシェイクを飲みながら確認してきました。(※あくまで個人の解釈です。)
マックシェイク、バナナ味おいしかったよ!
礼儀ってなんで大切なんでしょう?
もちろん、感謝や敬意を表すものだからです。
道場(神前)への礼をするときは、「道場(神聖な場所)を使わせていただきありがとうございます」
先生への礼をするときは、「教え導いていただきありがとうございます」
仲間への礼をするときは、「一緒に稽古してくれてありがとうございます」
刀への礼をするときは、「刀(刀匠の魂入り)を使わせていただきありがとうございます。今日もケガをしませんように。。」
こんな風に思いながら礼をしています。
じゃあ、なんで決まった作法があるのでしょうか?
神前の礼をするときには、わざわざ左手から右手に刀を持ちかえて、刃を下に向けて礼をします。
刀を床に置くときも、刃が神前に向かないようにして置きます。
神様に歯向かいません、という意味を込めた作法だそうです。
人と相対して座り礼をするときにも、刀を自分の右側に置きます。このとき、刃が自分に向くように(刃を内側に向けて)置きます。それから、頭を下げてお互いに礼をします。
通常、刀を抜くのは右手なので、自分の左側に、刃を外側に向けて置くと、一番刀を抜きやすくなります。
反対に、自分の右側に、刃を内側に向けて置くと、一番刀を抜きにくくなります。
つまり、「私は、あなたに対して刀を抜きません。敵意はありません。」ということを伝えるために、相対して座り礼をするときの作法は、「刀は右側、刃は内側」と決まっているのです。
頭を下げているときは、相手が見えないわけなので、相手に敵意がないって分かっていないと怖いですよね。
もし、こういう礼儀作法があるってことを知らなくて、つい自分の左側に刀を置いてしまうと、どうなるのか。
相対している人に「こいつ、戦闘態勢か!?ならばやられる前にやってやる!」と思われて、(世が世なら)切られてしまいます!
そう、礼儀知らずは殺されちゃうのです!いくら、「敵意はないです」って思ってても、思いだけじゃ相手に伝わらないのです。ちゃんと形に見えないと相手に伝わらないのです。
だから自分を守るために、決められた礼儀作法は守らなければならないのです!
「礼儀知らずは殺される」って思ったら、所作のひとつひとつをおざなりにはできないですね。この緊張感、私は欠いていたなぁと反省しました。
そういえば、握手も同じですね。「私、何も武器を持っていません」と手の内を見せて友好を示す礼儀作法ですね。
いや、でも、礼儀作法は大切だとは思ってるけど、昨今のどんどん増えていくビジネスマナーはどうかと思うよ?